まだ居たんだ。
コウの姿を目にした途端、ツバサはまずそう思った。思ってしまって、ハッとした。
何でも受け入れようと決意しながら、それでも、ひょっとしたら二人はもう用事を済ませてしまって、シロちゃんは唐草ハウスの中へ戻り、コウは帰り去ってしまったのではないかと、そんな事を期待していた。
自分は、期待していたんだ。
やっぱり私は、どこかで逃げようとしているんだな。
そんな自分に自嘲しているとは知らず、コウはツバサの姿に眉をあげた。塀に凭れさせていた身を正し、ゆっくりと向かい合う。
「よう」
軽く右手をあげる。
「遅かったな」
左手に持っていた携帯をポケットにしまう。
「今日はもう来ないのかと思って、メールでもしようかと思ってたんだ」
「私に何か用?」
なんてぶっきらぼうな言い方なんだ。こんなんじゃ、またコウを怒らせるだけじゃん。
後悔するのに、謝る事ができない。
そんなツバサの心内を知るはずもなく、コウはただ真っ直ぐにツバサへ向かい合う。
「なぁ ツバサ」
まず呼びかけ
「おととい、悪かったよ」
その言葉に、ツバサは気持ちが緩むのを感じた。だが
「お前、俺と田代さん事、気にしてるんだろ?」
途端、ツバサの胸は息苦しさに包まれた。あまりの直球に、答えることができない。
直球過ぎるし、その先、コウがどのような言葉を出してくるのかを考えると、ツバサは逃げ出したい衝動に駆られた。
何を言われるんだろう。
早鐘を打つかのような胸を軽く押さえるツバサの態度に、コウがゆっくりと言葉を続けた。
「俺、もう田代さんの事なんて、全然何とも思ってないから」
本当? 嘘じゃないの?
そう反発したくなるのはなぜだろう?
ほんの直前まで、コウとは鉢合わなければいいと思っていた。きっと二人はまだ惹かれあっているのだろうと思い、仕方ないじゃんという開き直りにも似た感情を抱いていた。
仕方ないじゃん。振られたって。
「本当だから。本当に俺、田代さんの事なんて未練もなんにもない」
じゃあ、さっき会ってたのは何?
聞きたいのに、ツバサは聞けない。聞いて、その先にどんな展開が待っているかを想像すると、ツバサはどうしても聞けなかった。
「別に、気にしてないよ」
逃げている。現実から逃げている。
わかっているのに、コウの言葉を信じて、もしくは騙されていたいという自分がいる。
騙されている。
コウは自分を騙しているのか? コウはそんな人間なんかじゃないと、そう信じていたいのに。
自分は信じたいのか? 何を信じたいのか? 信じているのか? 信じていると思い込ませているだけなのか?
本当に自分は、コウを信じているのか?
「俺、お前を信じてる」
コウはそう言ってくれた。ならば自分は?
グチャグチャになる頭を軽く振り、ツバサは無理矢理コウと向かい合った。
「わかってる」
無理矢理笑う。
「私もコウを信じてるから」
私って、サイテーだ。
そんな言葉を胸のずっと奥底へ押し込め、いつものように小気味良く笑うと、コウも笑って返してくれた。その笑顔が胸に痛い。だが、もう引き返す事はできない。
「私も、ごめんね。コウの話を聞いてなかったのは私の方なのに」
「いいよ。俺がもっと気を遣うべきだった」
そこでコウが照れたようにガシガシと頭を掻く。
「逆にお前に気を遣わせたかも」
「そんな事」
そんな事ないよ、といいかけ、ツバサは途中で言葉を変える。
「バスケ部ってさ、本当になくなっちゃうの?」
コウは大きく頷く。そうして空へ向って笑った。
「いいんだ」
「いいの?」
「うん」
大きな空が、自分の悩みなどちっぽけなものだと笑っているような気がする。
「バスケなんて、どこででもできる。もともと大した活動もしてなかったんだ」
「それはそうだけど」
言いよどむツバサへ視線を向け
「バスケやってて、ツバサに会えた。それだけで十分だと思うよ」
そんな事言わないでよ。そんな真っ直ぐな瞳で見られると、醜い自分を見透かされているようで心苦しい。後ろめたい。
だが、堪らず視線をそらすツバサの仕草を、こちらの辛い心情を思いやっての事だろうと理解するコウは、逆に嬉しそうに口元を緩める。
「ありがとな」
ポンッと一つ、ツバサの肩を叩くコウ。
駄目だ。
ツバサは完全に負けた。コウのその優しさに負けた。
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